私は心に化け物を飼っているような気がする
なんだか、おかしいような気がする。
私はこれまで、何度も自分の怠惰と戦ってきた。
怠惰というのはタチが悪い。その戦に敗北すれば、サボり怠けたことになってしまう。
私もその客観的事実に、騙されているのではないか?
よく思い返してみる。
私は怠惰を払拭するため、iPhoneをガラケーに買いなおし、オリジナルのゲームとビンゴカードを作り、図書館や学校を行き来し、ついには人格まで分裂させようとした。
私は苦労していないのか?
行動力があるのは、危機感がないことの裏返し▶︎すなわち怠惰も生まれうると考えていたが、逆なのではないか。
怠惰と戦ってきたあまり、行動力が伸びたのだと考えれば……
私には答えを見つけられない。怠惰とは一般には相対的なものだからだ。
他人が私以上に苦労しているのならば、単なる生まれ持った怠けという結論に至るのだがこれは案外安心する結論でもある。
逆に
私がほかの人よりも苦労しているとしよう。
これは、もう、病気の類ではないか?
確かに溜飲が下がるかもしれないが、なかなかに絶望的真実ではないだろうか?
私は究極の怠惰である、と前に言ったが、私は日々戦っている。
私は究極の怠惰を心に飼っていると言った方が正しいかもしれない。
私には分からない。これが私自身が身を守るためにそう考えているのかもしれない。
思い通りに動かない体と戦う人がいるように、私も思い通りに動かない心と戦っているかもしれない。
いや、もしかしたら共存する道もあるのかもしれない。
私には分からない。自分のことだからこそ余計に分からない。